「気づいたら、竹がなくなっていたんです」
そう語るのは、富士勝山スズ竹工芸の職人だ。
富士山の裾野に広がる富士河口湖町の勝山という限られた地域で、400年もの間受け継がれてきた伝統工芸。
その命を支えてきたのが「スズ竹」という、細くしなやかな竹だ。
しかし今、このスズ竹が鹿の食害によって消えつつある。
鹿害の発覚
職人たちは代々、山に入るときには決まった作法を守ってきた。スズ竹は一度に根こそぎ採るのではなく、毎年季節の生育状況によって場所を変え、ローテーションしながら収穫する。
それぞれのエリアにあるスズ竹が休み、成長できるように考え抜かれた知恵である。特に3合目は、質の良い竹が育つ場所として知られてきた。
ところが2022年、職人たちが2年ぶりに3合目へ入ったときのことだった。そこに広がっているはずの青々としたスズ竹の草原は、影も形もなく、すっかり枯れ果てていた。

「最初は病気だと思いました。竹は花が咲くと一斉に枯れる性質もありますから。でも、よく見ると竹の上の部分がなくなっている。そこではじめて『これは鹿かもしれない』と思ったんです」
すぐに富士山科学研究所に調査を依頼した。結果はやはり「鹿の食害」だった。
原因がわかった瞬間、職人たちに走ったのは安堵ではなく、深い絶望だった。
病気なら対策のしようがある。だが、相手は野生の生き物。数を増やし続ける鹿を前に、人の力はあまりに小さい。
鹿が増える理由
なぜ鹿がこれほどまでに増えたのか。その背景には、環境の変化がある。
「温暖化ですよ。昔は寒さで子鹿の半分が冬を越せなかったのに、今は生存する鹿が増えた。しかも2歳で子どもを産むから、どんどん増えていくんです」
静岡側からの鹿の移動も重なり、富士山周辺の鹿は急激に数を増やした。
実は、鹿たちにとってスズ竹は、特別に美味しい食べ物ではないのだという。
だが背の高いスズ竹は、冬の山で雪に埋もれず、頭を出している数少ない植物でもある。それを食べることで、飢えをしのぎ、冬を越しているのだ。
そしてこの問題は、スズ竹の成長点が竹の上部にしかないことと重なり、より深刻化している。
成長点を鹿に食べられると竹は二度と伸びず、地下茎まで弱ってしまう。一本どころか、一帯が壊滅する。
これは単なる収穫減ではなく『消滅』を意味している。

被害の拡大
鹿害は瞬く間に広がった。3合目が全滅したのに続き、冬に採取していた1合目も壊滅的な状態になっている。
今や残された希望は2合目だけだ。今年の冬、もしここにも鹿が入り込めば、富士勝山スズ竹工芸は現実的に生産不可能になる。
「できることは全部やりました。鹿柵の設置を申請して、保護区にも指定してもらった。でも、人も資金も足りないんです」
広範囲に鹿柵を設置するには、最低でも1,000万円が必要だという。
さらにスズ竹の生息地は国立公園だ。小さな監視カメラを設置するだけでも、5か月かかった。実験的に小規模の鹿柵を設け、効果を検証する準備は整っているものの、許可が下りるまでには長い時間を要する。
職人たちは申請と待機を繰り返しているが、その間にもスズ竹は確実に失われていく。
代替できない素材

「スズ竹の代わりはないんです」
熊笹は短すぎ、根曲がり竹は太すぎる。スズ竹のように細く薄く裂いても強度を保てる竹は、他にない。
地元で取れる竹であるからこそ、400年にわたり、富士を臨むこの地でスズ竹工芸は続いてきた。
一つのカゴやザルには、持ち手、底、側面といった部位ごとに異なる編み方が施される。
壊れにくさを追求した合理性と、光を受けて美しく透ける芸術性。その両方が共存しているのが、勝山のスズ竹工芸品だ。
「カゴを窓辺に干すとね、光が透けるんです。その美しさを見ると、心が和む。そんな時間が私の癒しなんですよ」
スズ竹のカゴはただの道具ではなく、暮らしに寄り添う芸術品。派手さはない。だが軽くて丈夫で、手に馴染む。
100均のカゴには決して代えられない価値が、そこにある。
歴史に刻まれたスズ竹
勝山のスズ竹は、地域の歴史そのものでもある。かつて人々はこの竹でざるを編み、日々の暮らしを支えた。農作業や台所、あらゆる場面で使われてきたカゴやザルは、暮らしの一部であり文化の象徴だった。
昔は3メートル近くまで伸びた竹も、今は1.5メートルほど。気候変動の影響ではないかといわれているが、確かなことはわからない。
ただひとつ、言えることがある。
——竹が短くなり、数が減り、文化の土台そのものが揺らいでいるという事実だ。
職人の覚悟
「伝統が絶えたら、もう戻ることはないんです」
職人の言葉には重みがある。需要はあるのに、材料がないために応えられない。行政の支援は消極的で、伝統を守る声も十分に届かない。
それでも手を止めるわけにはいかないのだ。
山の中に響く、スズ竹を刈る音。刈ったスズ竹を割り、なめす技術。そして、カゴを編む、繊細で合理的な技法。
先人たちが積み重ねてきた時間のリズムであり、未来へつなごうとする職人たちの意志には、崇敬の念を覚えずにはいられない。
最後に|伝統を守るために、できること

鹿の食害は、自然の営みのひとつともいえる。
しかしそれによって失われるのは、単なる「植物」だけではない。400年にわたって人の暮らしとともにあった文化であり、知恵であり、美しさだ。
100均のカゴと、400年の知恵で編まれた60年以上も使い続けられる「唯一無二」のカゴ。あなたはどちらを手に取りたいだろうか。
目の前の便利さと、未来へ残すべき価値。その間で、私たちはどんな選択をするのか。
富士河口湖町の勝山で愛され続けるスズ竹工芸品は、静かに、しかし強く問いかけている。
◾️小佐野 勝重さん、スズ竹伝統工芸センターのみなさん
◾️富士河口湖町勝山
スズ竹伝統工芸センター内 ざる工房河口湖
住所:山梨県南都留郡富士河口湖町勝山4029-5
TEL:0555-83-2111
※スズ竹工芸品は道の駅で販売しております
住所:山梨県富士吉田市新屋3-7-3
TEL:0555-21-1033

